箱根駅伝

【箱根駅伝2025】青山学院の歴代順位や優勝回数は?部員数や監督についても調査!

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お正月の風物詩といえば、「箱根駅伝」!

毎年、学生たちの熱い物語とともに白熱のレースが繰り広げられていますよね。

箱根駅伝での強豪校といえば、青山学院大学です。

毎年優勝争いに参加しているイメージもありますが、実はもともと弱小校だったんです。

え!どうしてここまで強くなったんだろう

現在、青山学院大学陸上部(長距離)の部員数は約60人と大きく成長しました。

青山学院を駅伝の強豪校にした監督はいったいどんな人なのでしょうか。

今回は、青山学院大学陸上部について深堀していきます!

この記事でわかること

  • 青山学院の歴代順位と優勝回数について
  • 青山学院陸上部の部員数について
  • 青山学院陸上部の監督について

【箱根駅伝】青山学院の歴代順位と優勝回数は?

青山学院の箱根駅伝の出場回数は29回、そのうち優勝回数は7回でした。

箱根駅伝の最多優勝回数記録をもっているのは中央学院で、その数なんと14回となっています。

こうやって見ると青山学院はまだ優勝回数は少ないですね

青山学院と箱根駅伝の歴史

青山学院が初めて箱根駅伝に出場したのは、第22回箱根駅伝(1943年)ですが、この時の順位は11校中なんと最下位だったんです。

そんな青山学院が箱根駅伝に再び帰ってきたのが第41回大会(1956年)です。

そこから12年連続の出場をしていますが、優勝争いに加勢するほどの力はまだありませんでした。

そして、第52回大会を最後にまた出場しなくなってしまいます。

しかし、その33年後奇跡の復活をし、めきめきと順位を上げて第89回大会で祈願の初優勝を果たしました!

青山学院の箱根駅伝歴代順位

ここで、青山学院の箱根駅伝での歴代順位をまとめてみました!

大会順位
第22回11位
第41回14位
第42回13位
第43回14位
第44回7位
第45回9位
第46回12位
第47回12位
第48回13位
第49回13位
第50回14位
第51回14位
第52回棄権
第85回22位
第86回8位
第87回9位
第88回5位
第89回1位
第90回1位
第91回1位
第92回1位
第93回1位
第94回1位
第95回2位
第96回1位
第97回4位
第98回1位
第99回3位
第100回1位

青山学院が箱根駅伝の優勝争いに加勢するようになったのは、ここ10年でのことであることがこの表からもわかります。

箱根駅伝に復活してからの追い上げがすごいですね!

あまりに強すぎて箱根駅伝がつまらない…といった声もありますよね。

【箱根駅伝 】青山学院が強すぎてつまらない?駅伝を楽しむポイント4つ!

【箱根駅伝】青山学院の部員数は?

青山学院陸上部の長距離ブロックの部員数は現在61名(男子49名 女子12名)となっています。

箱根駅伝では、毎年各大学が10人の選手をエントリーにだし、実際に出場できるのはたった8人の選手です。

青山学院の場合、男子部員が約50人近くいますから、出場できる確率は50分の1になります。

さすが強豪校!出場するまでにも熾烈な戦いがあるようですね!

【箱根駅伝】青山学院の監督は誰?

現在の青山学院の監督は原 晋氏です。

青山学院を箱根駅伝に復活させ、強豪校にまで成長させた原監督とはどんな人物なのでしょうか。

原監督のプロフィール

原監督のプロフィールを以下にまとめてみました。

名前原 晋 (はら すすむ)
生年月日1967年3月8日
年齢57歳
出身地広島県 三原市
出身大学中京大学

原監督の選手時代

  • 中学から陸上をはじめ、高校では陸上部の主将をつとめながら全国高校駅伝で準優勝の活躍をする
  • 大学時代では3年生のときに日本インカレ5000mで3位入賞
  • 社会人になってからは、中国電力陸上競技部の一期生として入部するが、ケガが原因で満足のいく結果が残せずわずか5年で選手生活に幕を閉じる。

その後同社の営業マンになり、実績をあげて「伝説の営業マン」と呼ばれるようになりました。

監督をする前は営業マンだったんだ!

営業マンから大学陸上部の監督へ

原監督は青山学院陸上部の監督に2004年から就任しています。

きっかけは、青山学院のOBである高校時代の後輩から監督にならないかという相談をもちかけられたことだったそうです。

当時の原監督は、中国電力の営業マンとして着実に実績をあげていましたが、サラリーマンとしての自分のキャリアに不安を抱いていました。

そんな中舞い込んできた大学陸上部の監督の話。

選手時代に陸上競技で「思い通りにいかなかった」という後悔があった原監督。

当時は広島に一戸建ての家を買いローンを払い出したばかりのときでしたが、「今度は監督としてもう一度、陸上界で頂点を目指そう」と思い、監督になる決断をしたそうです。

安定した生活からの挑戦。その勇気に感銘します。

原監督の決意

原監督は現在も妻と一緒に、選手が暮らす寮で暮らしています

これは、退路を断ちこれが自分の居場所だと思える場所で、選手たちと真剣に向き合いながら形のある仕事をしようという決意からだったと原監督は話しています。

原監督は、選手と一緒に暮らしながら部員たちと向き合い、青山学院というチームカラーをつくりあげていきました。

毎年掲げるスローガンも有名ですよね!

選手のモチベーションを上げるために監督の様々な努力が感じられます。

今の青山学院陸上部の強さがあるのは、原監督の固い決意が根底にあるといえます。

まとめ:【箱根駅伝2025】青山学院の歴代順位や優勝回数は?部員数や監督についても調査!

今回は、青山学院陸上部についてまとめてみました!

今となっては強豪校といわれる青山学院大学ですが、その強さの背景には原監督の思いや、選手たちの努力が受け継がれてできていることが分かりました。

青山学院の箱根駅伝の歴史は浅く、まだまだ伸びしろがあるチームだといえます。

今後の青山学院の駅伝の歴史はどのように動いていくのかとても楽しみです!

ぜひ、来年の箱根駅伝をみて応援しましょう!

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