毎年、開催される箱根駅伝で山の神と言われる創価大学の吉田響選手。
実は、吉田響選手は元々東海大学でしたが創価大学に転入していて、その理由が気になりますよね。
今回は、吉田響選手のプロフィールや創価大学に転入した理由を調査しました。
その他にも東海大学を退部した理由や東海大学時代のエピソードも紹介しているので、参考にどうぞ!
吉田響のプロフィール
吉田響選手のプロフィールを以下にまとめました。
項目 | 詳細 |
---|---|
名前 | 吉田響(ヨシダヒビキ) |
生年月日 | 2002年8月20日 |
出身 | 静岡県 |
所属 | 創価大学経済学部 |
学年 | 4年生 |
第100回箱根駅伝では5区を担当、「クライミングモンスター」と称された吉田選手ですが、雨が降っていたため低体温症に陥り、区間9位と実力を発揮出来ませんでした。
そんな吉田選手のプライベートはInstagramをみると、チームメイトや友達との画像がたくさん投稿されていて創価大学での学生生活が充実していることが伺えます。
イケメンだから女子にも人気がありそう!
吉田響が創価大学へ転入した理由とは?
創価大学からのスカウト
吉田響選手が創価大学へ転入した理由は、「縁があったから」と答えています。
吉田響選手は、ご自身のXにて創価大学に転入されたことを報告しています。
詳細を確認してみると
「それでも箱根駅伝への思いを捨てきれずいたとき幸い縁があり、創価大学で競技を続けることができるようになりました。」
本人も東海大学を退部したものの、箱根駅伝への思いが強く、どこかでまた競技したいと思っていたんでしょうね。
そんな時に、ご縁があって創価大学に転入することを決意したようです!
陸上をしていると、いろんな選手や他校のコーチと交流する機会がたくさんあります。
実は、吉田響選手に声をかけた監督が創価大学で現在スカウト編成部を務めている瀬上雄然さんの一言でした。
響がよかったら、箱根駅伝もうちょっと頑張ってみないか
参考サイト:日経スポーツ
日刊スポーツプレミアムの吉田響選手に関する記事を確認してみると、当時創価大学の総監督だった瀬上雄然さんが、吉田響選手に声をかけました。
瀬上雄然さんの地元は静岡県東部の御殿場市で、吉田響選手と地元が同じということもあり、ずっと気になっていたそうです。
瀬上雄然さんの一言が後押しに!
知り合いを通して吉田響選手と会って瀬上雄然さんの方から創価大学へ転入しないかと誘い悩んだ末、創価大学に転入しました。
吉田響が東海大学を退部した理由
吉田響選手が東海大学を退部した理由は、「本人とチームの間で協議の考えが一致しない部分があって健康面と精神面が安定しなくなり、退部をせざるを得ない状況になった」からです。
退部した理由も、ご本人のXアカウントで報告しています。
吉田響選手は日頃から「東海大学の山の神」になって箱根駅伝で優勝したいという気持ちで食事制限やトレーニングを行っていました。
しかし、ご本人のXアカウントに投稿された内容の一部には、このようなことも投稿しています。
5000mや10000mの記録更新や出雲駅伝や全日本大学駅伝など記録や箱根駅伝以外のレースへの出場も考えていないと投稿しています。
このような考え方を含めてチームとの間で意見が一致しないことが増えてきたのかもしれませんね。
真相は調査したものの分かりませんでしたが、健康面で安定しない日々が続くと精神的に追い詰められてしまうので、退部せざるを得なかったでしょう。
吉田響の東海大学時代のエピソード
吉田響選手は、東海大学時代には第98回箱根駅伝で1年生の時から出場しており、5区として区間2位と好成績を残しています。
山登りの5区を任され、7人をごぼう抜きした記録をもっているほど実力がある選手でした。
2年生の時には、山以外でも活躍しておりハーフマラソンの合計記録で争った箱根予選大会では、チームのトップの好走で東海大学の9位通過に貢献しています。
とにかく走ることに情熱を注いでおり、食事制限や睡眠にもこだわっていたそうですよ!
まとめ
今回は、創価大学に所属している吉田響選手について紹介しました。
東海大学では山の神と称賛されるほど実績を残しており、ご本人も日頃から食事制限や睡眠などこだわって生活しながら、陸上に力を入れていることが分かりましたね。
しかし、チームと意見が合わなくなり健康面や精神面でも安定しない日々が続いてしまうと、退部せざるを得ない状況まで追い込まれてしまったのかもしれません。
大学3年生の4月から気持ちを切り替えて創価大学に転入しているので、周りの人に支えられながらまた走ることに情熱を燃やしているようです。
2025年の箱根駅伝で活躍する姿を見かけたら、みんなで応援しましょう!
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